視点を変えて"くるりんぱ"

 「何のために勉強するんですか。」高校3年生の頃、社会科の尾張先生にそう訪ねたことがあった(コラム第5回を参照) 。
 当時の私には勉強が2種類あると感じていた。1つ目が、授業で覚えるべきものを学び、テストでそれを発揮する勉強。そして2つ目が、いろんな本を読み、社会問題に向き合って自分の意見を持つ勉強。悲しいことに2つの勉強は繋がっているものとは感じられずにいた。大学受験が近づき学校で1つ目の勉強が増やされたことに反発し、憤慨していた。バタバタと迫る私を尾張先生はいつも通り涼しそうな顔で出迎えた。そして一瞬で私を黙らせるコトバを知っていた。「そうだなー。」とニヤっとして一撃。「それなら今井は、人はなぜ勉強するのかを知るために勉強してみたらどうだ。」
 
 多くの人が「平和学」という領域を日本で聞いた事がないかもしれない。海外でも決してメジャーな学問ではない。だけど、私がこの学問を選んだのには理由がある。それは「平和とはなにか。」を探すためである。「平和」という言葉は民間ユネスコ運動に関わっているとたくさん聞こえてくる、街中でデモをしている人の言葉を聞いてもそうだ。はたまた、国会答弁でも「平和」という言葉は頻繁につかわれる。
 
 しかし平和という言葉を使う人は、その言葉の意味を考えているだろうか。憲法9条があれば日本は平和なのか。たくさんの軍事費をつかい、強い兵器があれば日本は守れて、平和なのか。日本は各地で紛争がある中、国際平和のために何ができるか。

 その答えは私だってわからない。ただ難しいからと考える事を諦めたくはない。いつの間にか私が手に取る本は「平和」のタイトルではなく「軍事」や「安全保障」がほとんどになっていた。視点を考えてみたら、平和のイメージが"くるりんぱ"と変わることに気づいた。平和と軍事の違いはまさに、視点の違いである。
 平和を語る人間はたくさんいる。しかし、いろんな意見があるものだ。被害者の立場、加害者の立場など、"くるりんぱ"すればそれぞれの立場の気持ちが想像できる。自分の主張することでその場の雰囲気が白けることも、批判されて対立することもある。そんなときでも"くるりんぱ"をして気持ちを切り替える。考えること、主張することを諦めてはならない。それを通して、自分の考えは磨かれ、多様な意見に寛容になれる。
 
 平和は歴史から学び、国際的でダイナミックな未来を考えるテーマである。立場が変われば意見ももちろん変わるだろう。だからこそ、たくさんのアイディアがあったほうがおもしろい。違う意見があるからこそ、日本や世界の未来を想像する楽しみがあるのだ。"くるりんぱ"を楽しもう。

サブメニュー

免責事項

当ページの画像及び情報の無断転載はお断りします。
その他ご不明な点やご質問などは管理者までご連絡ください。

管理者への連絡はこちら
seinen@unesco.or.jp